カテゴリ:東日本大震災( 11 )

311のつぶやき

あれからもうすぐ1ヶ月かー。
なんか色々あったような。細かい事はよく覚えてないなぁ。
だからブログつけてるんだけど。

本震より大きい余震はないから、
もうあれ以上大きい地震は来ないよ、大丈夫

なんて言って励ましてくれた人もいたけど
4月7日の余震ももはや本震かと思うくらいでかかったし
とにかく気が休まりません!

家の前のバス通り、バスが通る度に遠くから聞こえるエンジン音が
「ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ」って地震の地鳴りによく似てるので
いちいちビクっとなって疲れるのーーーー(ノД`)

3.11のTwitter。自分のつぶやき。
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地震前(白)と地震後(赤)で世界は変わっちゃったなー。
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by tori78 | 2011-04-09 20:27 | 東日本大震災

3月28日/石巻へ

3月28日。
叔父と一緒に石巻へ行って来た。

避難所にいる親戚、自宅に避難している親戚に物資を届けに。
それから浸水してしまった叔父の家の様子もチェックしに。

友人達がたくさん送ってくれた救援物資も持って行った。
加えて、あるボランティア団体の方から
「全国から届いた救援物資を石巻へ少しでも持って行ってもらえれば」
と声掛けしてもらえたので、必要なものを色々いただいた。
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倉庫いっぱいの救援物資!ぞくぞくと運搬されてきているとのこと。
ただ、これを被災地へ運ぶルートがあまりなくて困っているみたいだった。

道中、ずっと自衛隊のトラックと一緒だった。
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石巻には日本製紙の工場があった。
そこから流されて来た紙の材料の材木がいたるところにたくさん。
流れて来たこの材木によって破壊されてる建物もあった。
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石巻専修大学内のボランティアセンターへ。
叔父の家の庭に山のように流れ着いた瓦礫の撤去をお願いしてきた。
が、いつ来れるかはまったく見当がつかないとのことだった。
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自衛隊のキャンプ地。
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町のいたるところに、水をかぶってしまった家具や家電が山積みにされている。
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とにかく、ヘドロとゴミだらけ。
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親戚が避難している公民館。
この日の時点で120名程がここで避難生活を送られているとのことだった。
わずかだけれど、毛布や食料、乾電池やティッシュを届けた。
120個入りのわかめスープがとても喜ばれた。
ずっと同じ白いご飯ばかりだと、飽きてしまうんだと言っていた。
毛布は足りているようだった。
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日和山神社の鳥居。
今年のお正月、家族でここにお参りに来た時はこんなことが起こるなんて
誰も想像していなかった。鳥居の向こうの景色が、一変してしまっていた。
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お花が供えてあった。日和山の麓は壊滅的。
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なにもなくなってしまった。
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公園の案内図。神社と公園のあるこの場所は
春になると桜と、眼下に広がる太平洋が見渡せるのどかなところだった。
今見える景色が本当に嘘のよう。嘘だったらいいのにと思った。
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福岡赤十字の方たちが来ていた。
この町がどんなかを見てから、作業に入るのかな。。。
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家が。。。
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ここはまだ祖母が生きていた時、よく買い物に来ていたスーパー。。。
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囲みだけが残っている。
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ジャングルジム。
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ここは天ぷら屋さんだった。
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この地区には私の親戚も住んでいた。
近頃は全然交流がなかったので記憶が鮮明ではないのだけれど、
子供の頃はよくお年玉をくれていたお茶屋のおじさん。
その日、ひとりで家に留守番していたおじさんが津波に流されてしまったのだと聞いた。


帰りの車から見た夕日。静かな夕日。
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ショックを受けるだろうと覚悟して行ったつもりだったのだけれど
行ってみて実際感じたのは「呆然」という感覚で
ショックを受けるというのとは少し違っていた。

見た事のなさすぎる景色に
頭がついていかない、というのか
何が起こったのかよくわからない、というのか、、、
うまく言えないけど、信じられなかった。

何をどうしたらいいのか、本当によくわからないけれど
目の前のことを少しずつやっていくしかないのだろうな。
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by tori78 | 2011-04-05 15:45 | 東日本大震災

地震/私の被災生活その8

記録は続くよ。もうちょっと。

今回、本当に本当にたくさんの友達に助けてもらっていて
なんとお礼を伝えたらいいのか、感謝してもしきれない程。
これは忘れたくないので、記録しておきたい!

レターパックで荷物が送れるとわかってからすぐ、救援物資を送ってくれた。
東京から、秋田から、福島から。。。ありがとう!!!
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小さな袋のはずなのに、中身を開けたらこんなに!
駆使して詰めてくれたんだねぇーー!ありがたい。。。!
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元スタッフE氏にもずいぶん助けてもらった。
実家の福島を行ったり来たりする間に、ガソリンを調達して届けてくれたり。。。
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物資もいろいろ運んでくれました。ありがとう!

夜中にこっそりやってきて救援物資を置いて行く、
まるでサンタクロースのような友人にも何度も助けられた。
本当にありがたかった。

東京時代にお世話になっていたレストランのご夫婦も
「なんでもいいから言ってごらん!」と電話をくれた。
電話の声を聞いたらなんだか泣けて来ちゃったなぁ。
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「ふじっ子」がたくさん入ってておかしかった。笑

仙台の友達も、「牛乳とバターが手に入らない」と嘆いていたら
「○○スーパーなら買えます!」と買っておいてくれた!
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↑この3点はこの頃、「手に入りにくいものベスト3」だった。ありがたい☆

専門学校時代からの友達も、アパレルパワーで
避難して来た叔父のために衣類をたくさん送ってくれた。
「なんだか洒落た服がいっぱいだ!」と父/叔父も嬉々としていたよ。
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私の大好きなお菓子も入っていてすっごく嬉しかった!!ありがとう!
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「余った分は他の困ってる人にあげてね」と
段ボール2箱分も救援物資を送ってくれた友達も。
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こちらは、石巻の避難所、親戚へも届けました!

親戚に物資を届けに行った時、
裏の家のお母さんが津波で亡くなったんだと話していました。まだ40才だったのに、と。
残された家族のために、この食材が役に立つと思う!と言っていました。
たくさん送ってくれて、本当にありがとう!

元スタッフTさんも、ホームベーカリーを駆使して
せっせこパンを焼いては届けてくれました。
なかなかパンが手に入らなかったので、すごく嬉しかった!
我が家にあるレーズンと小麦粉がパンになって帰って来た時は魔法みたいだった!
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↑救援物資でもらったプルーンを入れてもらったプルーンパン☆

シャンプーを送ってくれた友達も。。。
贅沢品なのに、、、!!本当に本当にありがとう!!!
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野菜不足を心配して、山盛り野菜ジュースと青汁!を送ってくれた友達も!!
石巻で野菜ジュースを欲しがっていたので石巻へも届けたいと思っています。
(数本私もいただいてしまいました!!)
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遠く離れたサンフランシスコからも!
いてもたってもいられない!という感じで物資を送ってくれた!
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サンフランシスコから讃岐うどんが、、、!そしてタオちゃんのおもちゃまで!
すごいです!ありがとうありがとう!!

他にも、「何か困ってる物はないか」と声をかけてくれた友達もたくさん。
心配に思ってくれていることだけで、ありがたく気持ちがふんわりあたたかくなりました。
ありがとう。気にかけてくれて。感謝感謝です。

地震から3週間が過ぎようとしている今、
仙台の街はだいぶ復旧してきて、百貨店も開くようになりました。
なので、物資に関しては足りるようになりました。

先日、石巻へ行ったときも、入りやすい場所の避難所については
物資が足りているような印象でした。

まだ、行き届いていない場所があるのかもしれませんが
そこまでどうやって届けたらいいのか、
集まって来た物資はたくさんあるけれど
それをどうやって分散させたらいいだろう、、、
集めるた物資をどう運ぶ??というステップで困っているという感じがします。

こんなにみなさんに親切にしてもらって、本当に感謝しています。
すごい友人達を持ったものだと、誇らしい気持ちでいっぱいです。

わたしにもできることって何があるのか、考えます。
なにができるか、どこまでできるか、わからないけれど、
みんなから、こんなにもらった親切を、
自分も誰かに返せるように動いていけたらと思います。

ありがとう!
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by tori78 | 2011-04-02 19:59 | 東日本大震災

地震/私の被災生活その7

また被災生活の記録。
写真でざーっと振り返る。

3月17日の朝、また友達が救援物資を届けてくれていた。
今度は山形まで買い出しに行ってくれたんだそう。。。
自分だったら同じ事が出来るだろうか。本当に、ありがたい。
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この日はしんしんと雪が降る。
大粒の雪がみるみるうちにどんどん積もって行った。
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友達が6日間お風呂に入れていない、というのでお風呂に呼ぶ。
友達は多賀城から来たのだが、そちらはまだ水が出ていないとのこと。

父、母、叔父、私、友達とで昼食に昨日作ったカレーを食べる。
普段なら、まずない顔ぶれだろうけど、こういう時はなんでもあり。

この日は夜に、ご近所の友達親子も入りに来た。
「お風呂もらいにきました〜!」
とやって来て、風呂上がりにお茶飲みしながら少ししゃべって。。。

なんか、懐かしい感じ。
不便で嫌なこともあるけれど
こういう温もりは普段はあまり感じられないかも。



翌日の朝ご飯。
まともな朝ご飯を食べられていることに感動。
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昨日とはうってかわっていい天気。
キラキラの雪の上で遊ぶタオさん。
地震後、猫の存在にだいぶ癒されている。。。
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散歩の途中できれいなツララを見つけた。
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ポカポカ暖かくて、町は一見すると本当に地震があったのかと思う平和さ。。。
多少の不便はまだまだあるものの、私の住む地区はもうすでに、
少しずつ日常を取り戻そうとしているのを感じる。

スーパーへ3時間並んだ父と叔父が帰って来た。
だいぶ食材も増えたようで、こんなにたくさん買えたそうだ。
野菜類は入荷があり、その他のものは在庫のものを売りさばいているようだった。
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↑こんなの、スーパーで普通に買い物した量だと思うかもしれないけれど、
こんなに買えるって、ちょっとした感動もので
みんなの一番の関心ごとは「食料の調達」だった!

満月がきれい。
19日は月と地球が最接近する「スーパームーン」だったとのこと。
私はギリギリまでこらえていたのだけれど、、、結局眠気に負けてしまった!
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夕食。地震の前から冷凍庫に眠っていたかさごの煮付け。
普段から母が冷凍食品を貯め込んでいたのが功を奏した。
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早くに電気が復旧していた地区に住む友人へ預けていたため腐らずに済んだ。

まさかこんな中で、かさごを食べるとは思わなかった。。。
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by tori78 | 2011-04-02 18:48 | 東日本大震災

3月15日/石巻の被災状況

父が叔父を探して石巻へ行った3月15日。

記録のために父が撮って来た写真。
UPしてみる。


流されて来た車や木っ端だらけ。道路も泥だらけ。
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叔父の家。幸い、流される事はなかったが、
庭一面が瓦礫の山。これをどうしたらいいのか途方に暮れる。
遺体が発見される可能性もないわけではないから
瓦礫の撤去は自衛隊がやるとかいう話もあるが。。。
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玄関。津波の跡が残っている。この高さまで浸水した。
家の中の家電製品は全滅。
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道路がこの有様で車では通行できない。
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石巻は石ノ森章太郎の町。
右手に見える白い建物、石ノ森萬画館へ延びる橋には車や船が。
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町の中にも船が。
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とにかく、めちゃくちゃ。ありとあらゆる物が流されている。
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by tori78 | 2011-04-01 16:41 | 東日本大震災

地震/私の被災生活その6

今年はよく雪が降る。
それでも地震前は、雪は降るけど積もらない事が多かった。

なのに、地震のせいで地軸がずれでもしたのか?
本当に雪がよく降るし、そして積もる。
もう3月も半ばなのに!
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避難所は凍える寒さだろうに。。。

被災生活では、Twitterがすごく助けになってくれている。

東京に比べたら人口も少ないし、
Twitter人口ももちろん少ないのだろうけれど
それでも、地元の情報をちょこちょこ得ることができる。

○○スーパーは開いている
○○温泉は店を開けているそうだ
○○に給水車が来ている

などなど。

それになにより、友達に会いに行く事もままならない中で
離れた場所にいる複数の友人とコミュニケーションが取れる
というのはとてもとても心強かった。

中には「○○ケーキ屋が開いている!」というTwitter情報もあって
たまたま歩いて15分くらいの場所だったので急いで行ってみた。

こんな状況下でまさかケーキ屋が開いているとは
誰も思わないらしく、お店は空いていた。
私もTwitterで見なければ思いもつかなかった。

店の扉を開け中に入った瞬間、ケーキの焼ける甘い香りに包まれて
なんだかものすごく感動してしまった。

ショーケースにはチーズケーキとモンブランだけが並んでいた。
そして、ちょうどホワイトデイに向け作り貯めていたという焼き菓子がたくさん。

友人たちにも分けてあげたくて
気がついたら結構な量を買ってしまった。
でも後から来る人が何も無くてがっかりしないように
買い占めはしなかったよ。

昨日まで避難所生活だった叔父は
ケーキが出て来てものすごく驚いていた。
私達も、特別な気持ちでケーキを食べた。



この日撮った写真。

ヒビ割れる道路。
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スーパー。毎日長蛇の列。平均3時間待ち。
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朝降った雪がロールケーキのようになっていた。
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この日は家にあった食材を駆使して、カレーを作った。
ブラウンマッシュルームやら豆の缶詰やら冷凍してあった鶏肉やらを入れた。
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by tori78 | 2011-03-30 11:14 | 東日本大震災

地震/私の被災生活その5

被災生活5日目。

地震直後に浴槽に貯めていた水が底をつきてきたので
水を汲みに出かける。トイレを流す水がない。

ちなみにトイレだけれど、
タンクに水を貯めてから流そうとするとものすごく水を使う。

なので、バケツから直接、トイレに流し込む方が少ない水量で流せる。

という事を私はこの震災ではじめて知った。
なんて思ってたらちゃんとTOTOも説明してたんだね。。。知らなかった。
断水・給水制限・停電時のトイレ使用について

母と私で水を運んだ。
母はあまり重いものは持てないのでキャリーケースにペットボトルを詰めて運ぶ。
私は10リットルタンクを2つ、キャリーカートに積んで運んだ。

蛇口から普通に水が出ている道路一本向こう側の地区。。。
ものすごく先進的に感じる。。。。
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実際、水を汲ませてもらった友人宅のお母さんは
化粧もきちんとしてたし、髪もきれいにしてあった。
家もきれいに片付いていて、普段となんら変わりないように見えた。

重たい水をうーうー言いながら運んでいる途中でふとひらめいた。。。
我が家のお風呂って、、、灯油で沸かしてたんじゃなかったっけ。電気は来たし。
ん?ていうことは浴槽に水さえ入っていれば沸かして入れる?!?

お風呂に入れず4日が経って不快感でイライラしてた私は
何がなんでもお風呂に入りたい!というお風呂への執念で
4往復し、やっとお湯が沸かせるだけの水を貯めた。
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これでお風呂に入れるーーーーー!!!と思っていたら

「あれー水出てるよ!?」

と母の声。。。
蛇口をひねってみたら

なんとーーーー
水、出てるーーーーーーーーーーーーーー
なんだったのーーーこの努力ーーーーーーー!!!!!

。。。でもでも
水が出ることにただただ感動。。。
ありがたいよぉぉ。。。。。嬉しいよぉぉぉ。。。。

4日ぶり。
水圧が弱くてシャワーは使えなかったけれど
浴槽から汲んでお湯を浴びた。頭も洗った。
ものすごく気持ちが良かった。
すっっっっっっきりした。

4日ぶりのお風呂は
ハゲるんじゃないかと思うくらい髪の毛が抜けてびっくりした。

お風呂に入れるなんて当たり前だと思っていたけど、
本当に本当に幸せなことだったんだ。

女ふたり、水汲みをしている間
父は何をしていたかというと、、、、、、

石巻の叔父とはいまだ連絡が取れずにいた。
Twitterで呼びかけたり、東京の友達から石巻の各避難所の名簿の画像を
iPhoneに送ってもらったりして探したりもした。が、見つからず。
電話をかけてももちろんつながらず。。。
時間だけが過ぎて行くし、
数日前からテレビには遺体安置所の案内が出るようになって来ていた。。。

遺体安置所。。。
。。。これは、遺体安置所へも探しに行かなければいけないのでは。。。

嫌な不安が頭をよぎり始めた頃、
石巻まで車を出してくれる、という方から連絡をいただいて
この日の朝、父は叔父を探しに石巻へ向かっていた。

父は数カ所の避難所と、それから、遺体安置所へも確認に回ったそうだ。
遺体安置所では50体ほどの遺体を確認したと。
「怖い」という思いは不思議となかったと話していた。
津波の前までは同じように生きていた人たちなのだから、と。

避難所では、やれあそこにいるはずだ、だの、いやあっちにいたはずだ、だの
情報が交錯していたそう。あの状況で、確かな情報なんて無理なんだろうけど。

そうこうするうちに、実家からほど近い避難所へ。

そこの駐車場で車に寝泊まりして避難生活を送っていた叔父を見つけた。

夕方、無事帰って来た父の後ろに叔父の姿を見た時、本当に安堵した。
いつもと変わらないおどけた調子で、元気そうだった。
あぁ、、、本当に、良かった。。。。

電気が灯っている事。
水が出る事。
温かい食事が取れる事。
すべてに感動する叔父。

そして今日やっと沸かせたお風呂に入り
体をまっすぐにして眠れる!と感動しながら、叔父は就寝。

叔父はそれから我が家で避難生活を送っている。

あんなに再会を喜んだくせに
狭い我が家に60すぎの大人が3人になり
あーだ、こーだと口うるさく言われると
喜んだのもつかの間、煙たく思う瞬間があるのも正直なところだけれど
でも、煙たがったりできるのも、口喧嘩できるのも
生きていてくれたからだと、そう思う。
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by tori78 | 2011-03-30 01:34 | 東日本大震災

地震/私の被災生活その4

被災生活4日目。

びっくりしたのは新聞が届いていたこと。
こんな時でも新聞って届くんだ。。。すごい。
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胸の締め付けられる一面だった。。。悲しい。苦しい。

でもびっくりしたことがもうひとつ。
新聞を取ったその後、玄関を開けるとそこに救援物資が!!
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地震が起きたその時に、たまたま新潟へ旅行中だった友人が
仙台への帰り道、地震の被害を受けなかったスーパーで物資を購入し、
夜中のうちに届けてくれた。。。感動。
不安で心細い気持ちが、ふわっとほぐれる。本当に、ありがたい。
(その友人、ほかにも30人程にこうやって物資を届けてくれていた!)

まだ電気が復旧していないので、携帯を充電するために
電気が通っている友人宅へまた行く。
Macbookも一緒に持って行く。こちらも充電しておくと
携帯の充電が切れたときにMacbookから充電できるから。

そして、ついでにテレビも見させてもらう。
画面に映るのは相変わらず悲惨な津波の情報。。。

そして、画面に「遺体安置所」の案内が出ている事に気がついた。
叔父の安否はまだ確認できていなかった。

この日の午後には変わった来客があった。
飲み会で1度しか会った事がないのに、
近くまで来たから、といってやってきたその彼は、
飲み会の席では酔っぱらった姿しか見ておらず、
正直一体どんな人なのかもさっぱりわからなかったのだけれど、
気が付けば何故だか、父、母、私と一緒にテーブルを囲んでお茶を飲んでいた。

なんだかすごく変だけど
でも、地震後は友人にも会いに行けずにいたし
余震に怯えながら不安な気持ちのまま過ごしていたので
なんだか気のいい兄ちゃん、という感じのその彼が
どーんと構えて、お気楽に笑っているのを見たら
なんとなくホッとした。

でっかい体で、それで来たの?!という小さな折りたたみ自転車に乗って
また颯爽と帰って行った。おかしな来客。

震災後は、誰か知ってる人に会える、というだけで嬉しく、心強いものだ。

その後は水汲みに。
我が家から道路を一本挟んだ向こう側の地区は
なぜだか地震後も一度も止まる事なく水が出ていると聞いたので
徒歩2分のところに住んでいる小学校時代の友人宅を訪ねてみる。

友人宅を訪ねるのはいつぶりだったろう??
まさかこんな形で再会を果たすとは。。。
友人のお母さんが快く水を汲ませてくれた。ありがたい。。。
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水を汲んで帰って来て、そろそろ夕方になるという頃
もしかしたら?と思ってブレーカーを上げてみた。

ら!!

つつつつ点いた!!!!!!

電気が点いたーーーーーーーーーーーー!
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明るいってすごい!
電気が点くってすごい!!!
見えるーーー!夜が来ても怖くない!!!!!

電気がこんなに嬉しいもんだって、知らなかった。。。。

人のあたたかさと、電気のぬくもりに包まれる、そんな一日だった。
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by tori78 | 2011-03-29 23:32 | 東日本大震災

地震/私の被災生活その3

なかなか進まない私の被災生活記録。
まぁ、ゆっくり思い出しながら書きます。
タイムラグありすぎだけど、、、(^_^;)

3日目。朝、蛇口をひねる。
しーーーーん。

出ない。水。。。。
ついに来たか、水なし生活。

洗顔、歯磨き、トイレ、お風呂、食器洗い、料理。
暮らしの中には水を使う場面がいーーーっぱい。
蛇口をひねるだけで水が出て来ていた時には無意識すぎて、
こんなに水に支えられて生きてたなんて、わからなかった。

かろうじて水が出ていたこの2日間、家中のペットボトルやバケツに
水を汲んでおいてはあったけど。不安。。。

お風呂も入れてないし、なんだかしょぼくれる。
だけどいい天気。太陽があたたかい。

ふとベランダから下を見たら。。。
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我が家の通い野良猫。「くつろぎさん」が寝てる!!!
あの地震で果たして無事だったのかと心配していたけど
相変わらずくつろいでいる様で安心した。
地震後も、地震前と変わらないものを見て、少し和む。

引き続き、家の掃除などをする。
まだ電気が来ないので、また、ほうきとちりとり。
白山陶器の鳥ちゃんも、割れちゃった。
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夕方は、近くに住むお茶の先生80才宅へ様子を見に行く。
地震後すぐ、気になって訪ねて行ったのだけれど
家の鍵は開いているのに人の気配がなく、しーんとしていたので
なんだか心配に思い。

入口で何度か叫ぶ(先生は耳が悪い)と、しばらくして出て来た!
良かった!!!お互い、手を握り合って無事を喜ぶ。

お茶の道具が壊れたと言っていたけれど、先生も旦那さまも無事だったとのこと。
ホッとした。本当に良かった。。。

先生宅は玄関に100体はあるだろうこけしコレクションが並べてあるのだが
それが雪崩をおこしていた。玄関に崩れ落ちるこけし達。。。
「まだ揺れが続くからこのままにしてるのよぉ」と先生。

先生の家は地震後もずっと水が出ている、というので
少し汲ませてもらって持ち帰った。重い。。。

そんなこんなしているうちに日が暮れてしまった。
太陽が沈むと、とにかく真っ暗なので、
いろいろなことを日が暮れる前に済ませないといけない。
夕飯も明るいうちに作ってしまいたかったのだけれど、仕方ないので
懐中電灯とろうそくの光の中で調理する。
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地震前に買ってあった食材を使って肉じゃがを作る。
(ちなみに停電後からは食材をクーラーボックスに入れて保存していた。)

肉じゃが、作っていて思ったけど
鍋ひとつで事足りるから、こういう時作るメニューにもってこいかも。
「鍋ひとつで作れる」っていうのが、被災時は重要ポイント。

外を出歩いて、働くのは太陽が昇っている間。
暗くなって来たら急いで家に帰って、一部屋に家族で寄り集まって暖を取る。
必要最小限の水で顔を洗い、歯を磨き
長い夜はすることがないから、寝る。

なんだか、すごくシンプルな暮らし。
とりあえず、その日を「生きる」っていう事に一生懸命な一日。

この日の朝、父は電気が通っている友人宅へテレビを見に行っていた。
そこで、父は実家がある石巻の惨状を見てショックを受けて帰って来た。

この時まだ、実家にひとりで暮らしている弟(私の叔父)と連絡が取れないでいた。

津波の被害は想像をはるかに越えていて
映像で見る石巻の町は、もう本当に、何も無く
叔父も親戚も、誰の行方もわからないので
嫌な想像も時々頭をよぎるようになってきた。

信じているけど。信じたいけど。
どうしているんだろう。どうしたらいいんだろう。

とにかく、安否を確認する手段がないので
私はTwitterで呼びかけをしてみたり。ただ、手がかりはなし。

どうか、無事でいてくれますように、
と祈りながら眠る。3日目の夜。
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充電式のろうそくランプ。
昼間、電気が復旧した友人宅で充電してもらっておく。これがとても便利。
真っ暗だと気持ちも不安になるけれど
これを付けて寝るとろうそくのように揺らぐ光で
なんとなくホッとするし、余震で目が覚めても足下が見えるので安心。
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by tori78 | 2011-03-26 16:41 | 東日本大震災

地震/私の被災生活その2

(長いです。記録なので。あしからず。)

余震に怯えながら、なんとかかんとか一夜明けた、地震から2日目。

なぜか、この時点では我が家の水道はまだ水が出ていた。
水圧はものすごーく弱いものの、トイレも流せていた。

暖房がなくて芯から冷えた夜。
我が家には薪ストーブがあったので、
余震に怯えながらも寒さに耐えきれず、真夜中に父が点火。
大きく揺れたらすぐ水をかけて消せるように、と水も用意。
父は火の番をする、と結局椅子に座ったまま朝まで眠ったらしい。
ありがとう、父よ。

足の踏み場もなくなっている家の中。
とりあえず、逃げ道だけでも確保しておかなくちゃと片付けを始める。

私の時計。地震の衝撃で落ちて時間も止まってた。
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片付けの間も結構大きめの余震が襲ってくる。
その度に家族3人ともビクッッ!!となる。。。
遠くから、ゴオォォォォォォ、と不気味な地鳴りがした後
家がミシッッ!と言って揺れる。。。怖い。。。

とにかく台所にはガラスの破片がいっぱい。
タオちゃんの肉球にガラスが刺さったら心配だし
掃除機で吸い込みたいけど電気も止まっているので
ほうきとちりとりで地道に掃き掃除。
大事にしてたお皿もみんな割れてしまった。。。むなしい。
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自分で焼いた茶碗も、割れちゃった。
「物」のはかなさを思う。。。
命があればまた手に入れられるんだからそんな事言ってる場合じゃないけど。

家の中は色々散乱してて危ないので、地震後からずっと土足。
iPhoneの充電が切れそうだったので、車の充電器で補充。。。
でもガソリンもメーター半分だったし、バッテリーがあがるんじゃないか?と
恐る恐るの充電。なかなかフル充電にはならず。

我が家に備えてあった防災リュックの中に、
懐中電灯+ラジオ+手動充電器がひとつになった優れもの的なものがあったのだが、
もちろんiPhoneなんて充電できるわけもなく
母のauの携帯も、かすかに充電できたのか?!と思っていたら
完全に電源がOFFになってしまった後は、全力で手動充電器を動かしてもピクリともせず。
携帯の充電については、もうちょっと性能のいいやつを用意しておかないと
まるでだめだな、ということが分かった。
ソーラー発電とかさ、なんか、いいやつがあるといいよね。。。

朝から家の周囲を偵察に出かけた父が、
小学校で炊き出しをしてた、といってわかめご飯をもらって帰って来た。
おいしい、、、わかめご飯。

その後、私も町を偵察に。
コンビニ、薬局、スーパーの前には長蛇の列。。。
この状態がいつまで続くのか不安だったので私も食料調達に並んでみる。
スーパーの中は物が散乱している状態なので中へは入れず、
入口で「○○と○○が欲しい」と告げると
店員さんが袋に必要な物を入れてくれて、一袋千円で売る、という形を取っていた。

10時に並び始めてやっと買えたのが13時。3時間待ち。
並んでいる間、前後の人と話す。
私の前は2才くらい?の男の子を連れた小柄な若いお母さんだった。
小さい子を連れての3時間待ち。本当に大変そうだった。
スーパーの前の公衆電話には、ちょこちょこ人が来て受話器をあげていたけれど
誰も繋がっている様子の人はいなかった。

3時間待ちで買えたもの。
インスタントラーメン(カップじゃないやつ)5袋セット。オレンジ1袋。
黒胡椒せんべい。「雪の宿」的せんべい。いちご1パック。マドレーヌ1袋。
締めて2千円。

道路。ひび割れていた。
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母と避難所へも行ってみた。何人か避難している人はいたけれど、閑散としていた。
だだっ広い体育館、寒そうだった。
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それに、避難所なんて言っても毛布や暖房や食料が備蓄してあるわけじゃないみたいだった。

夕方、我が家より北のブロックに住む友人が、電気が復旧したと知らせに来た!
え!こんなに早く!と思ってうちのブレーカーを上げたが、、、無点灯。。
こちらはまだ復旧していないようす。。。
電気が来たからご飯が炊けるよ!というので、家族3人で押しかけて行った。

「あぁぁ、明るいいいいいい!あったかいいい!!!うれしいいぃぃぃ!」

電気って素晴らしい。。。電気のありがたみを噛み締める。
6畳のお部屋にこたつと石油ストーブがついていてポカポカの友人宅。
そしてテレビ。

震災後はじめて、まともにテレビを見た。
友人宅の大きなテレビに映し出されるのは、海辺の町を次々飲み込む津波の様子。
昨日の晩、小さな携帯の画面で見た時にはよくわからなかったけれど。。。

頭を駆け巡るのは「あの地域に誰か住んでだっけ?!?!」
あの人もだ、、、あの人もかもしれない、、、あの人も大丈夫かな。。。

返事が返せる状態なのかわからないけれど思いつく人に
電話はつながらないので、とにかくメールを打ってみた。

友人2人と我が家3人、そして一緒に避難してきた友人の猫。
5人と1匹でこたつに入って食卓を囲む。安堵。。。

冷蔵庫に残っていた!というさんまのみりん干し。
水がないから、昨日たくさん買って来た爽健美茶でご飯を炊いてみることに。
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この爽建美茶ごはん、すごく美味しい。びっくり。

こんな時にご飯らしいご飯が食べれるなんて思ってなかったから
ほんっとうに嬉しかった。
一緒に食卓を囲める仲間が無事でいてくれたことにも感謝。

自宅は相変わらず停電で、真っ暗だし寒いので
9時前には就寝。
夜が長い。そして暗くて怖い。

ただ、星だけは2日目も、きれい。
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by tori78 | 2011-03-24 15:11 | 東日本大震災