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地震/私の被災生活その6

今年はよく雪が降る。
それでも地震前は、雪は降るけど積もらない事が多かった。

なのに、地震のせいで地軸がずれでもしたのか?
本当に雪がよく降るし、そして積もる。
もう3月も半ばなのに!
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避難所は凍える寒さだろうに。。。

被災生活では、Twitterがすごく助けになってくれている。

東京に比べたら人口も少ないし、
Twitter人口ももちろん少ないのだろうけれど
それでも、地元の情報をちょこちょこ得ることができる。

○○スーパーは開いている
○○温泉は店を開けているそうだ
○○に給水車が来ている

などなど。

それになにより、友達に会いに行く事もままならない中で
離れた場所にいる複数の友人とコミュニケーションが取れる
というのはとてもとても心強かった。

中には「○○ケーキ屋が開いている!」というTwitter情報もあって
たまたま歩いて15分くらいの場所だったので急いで行ってみた。

こんな状況下でまさかケーキ屋が開いているとは
誰も思わないらしく、お店は空いていた。
私もTwitterで見なければ思いもつかなかった。

店の扉を開け中に入った瞬間、ケーキの焼ける甘い香りに包まれて
なんだかものすごく感動してしまった。

ショーケースにはチーズケーキとモンブランだけが並んでいた。
そして、ちょうどホワイトデイに向け作り貯めていたという焼き菓子がたくさん。

友人たちにも分けてあげたくて
気がついたら結構な量を買ってしまった。
でも後から来る人が何も無くてがっかりしないように
買い占めはしなかったよ。

昨日まで避難所生活だった叔父は
ケーキが出て来てものすごく驚いていた。
私達も、特別な気持ちでケーキを食べた。



この日撮った写真。

ヒビ割れる道路。
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スーパー。毎日長蛇の列。平均3時間待ち。
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朝降った雪がロールケーキのようになっていた。
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この日は家にあった食材を駆使して、カレーを作った。
ブラウンマッシュルームやら豆の缶詰やら冷凍してあった鶏肉やらを入れた。
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by tori78 | 2011-03-30 11:14 | 東日本大震災

地震/私の被災生活その5

被災生活5日目。

地震直後に浴槽に貯めていた水が底をつきてきたので
水を汲みに出かける。トイレを流す水がない。

ちなみにトイレだけれど、
タンクに水を貯めてから流そうとするとものすごく水を使う。

なので、バケツから直接、トイレに流し込む方が少ない水量で流せる。

という事を私はこの震災ではじめて知った。
なんて思ってたらちゃんとTOTOも説明してたんだね。。。知らなかった。
断水・給水制限・停電時のトイレ使用について

母と私で水を運んだ。
母はあまり重いものは持てないのでキャリーケースにペットボトルを詰めて運ぶ。
私は10リットルタンクを2つ、キャリーカートに積んで運んだ。

蛇口から普通に水が出ている道路一本向こう側の地区。。。
ものすごく先進的に感じる。。。。
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実際、水を汲ませてもらった友人宅のお母さんは
化粧もきちんとしてたし、髪もきれいにしてあった。
家もきれいに片付いていて、普段となんら変わりないように見えた。

重たい水をうーうー言いながら運んでいる途中でふとひらめいた。。。
我が家のお風呂って、、、灯油で沸かしてたんじゃなかったっけ。電気は来たし。
ん?ていうことは浴槽に水さえ入っていれば沸かして入れる?!?

お風呂に入れず4日が経って不快感でイライラしてた私は
何がなんでもお風呂に入りたい!というお風呂への執念で
4往復し、やっとお湯が沸かせるだけの水を貯めた。
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これでお風呂に入れるーーーーー!!!と思っていたら

「あれー水出てるよ!?」

と母の声。。。
蛇口をひねってみたら

なんとーーーー
水、出てるーーーーーーーーーーーーーー
なんだったのーーーこの努力ーーーーーーー!!!!!

。。。でもでも
水が出ることにただただ感動。。。
ありがたいよぉぉ。。。。。嬉しいよぉぉぉ。。。。

4日ぶり。
水圧が弱くてシャワーは使えなかったけれど
浴槽から汲んでお湯を浴びた。頭も洗った。
ものすごく気持ちが良かった。
すっっっっっっきりした。

4日ぶりのお風呂は
ハゲるんじゃないかと思うくらい髪の毛が抜けてびっくりした。

お風呂に入れるなんて当たり前だと思っていたけど、
本当に本当に幸せなことだったんだ。

女ふたり、水汲みをしている間
父は何をしていたかというと、、、、、、

石巻の叔父とはいまだ連絡が取れずにいた。
Twitterで呼びかけたり、東京の友達から石巻の各避難所の名簿の画像を
iPhoneに送ってもらったりして探したりもした。が、見つからず。
電話をかけてももちろんつながらず。。。
時間だけが過ぎて行くし、
数日前からテレビには遺体安置所の案内が出るようになって来ていた。。。

遺体安置所。。。
。。。これは、遺体安置所へも探しに行かなければいけないのでは。。。

嫌な不安が頭をよぎり始めた頃、
石巻まで車を出してくれる、という方から連絡をいただいて
この日の朝、父は叔父を探しに石巻へ向かっていた。

父は数カ所の避難所と、それから、遺体安置所へも確認に回ったそうだ。
遺体安置所では50体ほどの遺体を確認したと。
「怖い」という思いは不思議となかったと話していた。
津波の前までは同じように生きていた人たちなのだから、と。

避難所では、やれあそこにいるはずだ、だの、いやあっちにいたはずだ、だの
情報が交錯していたそう。あの状況で、確かな情報なんて無理なんだろうけど。

そうこうするうちに、実家からほど近い避難所へ。

そこの駐車場で車に寝泊まりして避難生活を送っていた叔父を見つけた。

夕方、無事帰って来た父の後ろに叔父の姿を見た時、本当に安堵した。
いつもと変わらないおどけた調子で、元気そうだった。
あぁ、、、本当に、良かった。。。。

電気が灯っている事。
水が出る事。
温かい食事が取れる事。
すべてに感動する叔父。

そして今日やっと沸かせたお風呂に入り
体をまっすぐにして眠れる!と感動しながら、叔父は就寝。

叔父はそれから我が家で避難生活を送っている。

あんなに再会を喜んだくせに
狭い我が家に60すぎの大人が3人になり
あーだ、こーだと口うるさく言われると
喜んだのもつかの間、煙たく思う瞬間があるのも正直なところだけれど
でも、煙たがったりできるのも、口喧嘩できるのも
生きていてくれたからだと、そう思う。
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by tori78 | 2011-03-30 01:34 | 東日本大震災

地震/私の被災生活その4

被災生活4日目。

びっくりしたのは新聞が届いていたこと。
こんな時でも新聞って届くんだ。。。すごい。
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胸の締め付けられる一面だった。。。悲しい。苦しい。

でもびっくりしたことがもうひとつ。
新聞を取ったその後、玄関を開けるとそこに救援物資が!!
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地震が起きたその時に、たまたま新潟へ旅行中だった友人が
仙台への帰り道、地震の被害を受けなかったスーパーで物資を購入し、
夜中のうちに届けてくれた。。。感動。
不安で心細い気持ちが、ふわっとほぐれる。本当に、ありがたい。
(その友人、ほかにも30人程にこうやって物資を届けてくれていた!)

まだ電気が復旧していないので、携帯を充電するために
電気が通っている友人宅へまた行く。
Macbookも一緒に持って行く。こちらも充電しておくと
携帯の充電が切れたときにMacbookから充電できるから。

そして、ついでにテレビも見させてもらう。
画面に映るのは相変わらず悲惨な津波の情報。。。

そして、画面に「遺体安置所」の案内が出ている事に気がついた。
叔父の安否はまだ確認できていなかった。

この日の午後には変わった来客があった。
飲み会で1度しか会った事がないのに、
近くまで来たから、といってやってきたその彼は、
飲み会の席では酔っぱらった姿しか見ておらず、
正直一体どんな人なのかもさっぱりわからなかったのだけれど、
気が付けば何故だか、父、母、私と一緒にテーブルを囲んでお茶を飲んでいた。

なんだかすごく変だけど
でも、地震後は友人にも会いに行けずにいたし
余震に怯えながら不安な気持ちのまま過ごしていたので
なんだか気のいい兄ちゃん、という感じのその彼が
どーんと構えて、お気楽に笑っているのを見たら
なんとなくホッとした。

でっかい体で、それで来たの?!という小さな折りたたみ自転車に乗って
また颯爽と帰って行った。おかしな来客。

震災後は、誰か知ってる人に会える、というだけで嬉しく、心強いものだ。

その後は水汲みに。
我が家から道路を一本挟んだ向こう側の地区は
なぜだか地震後も一度も止まる事なく水が出ていると聞いたので
徒歩2分のところに住んでいる小学校時代の友人宅を訪ねてみる。

友人宅を訪ねるのはいつぶりだったろう??
まさかこんな形で再会を果たすとは。。。
友人のお母さんが快く水を汲ませてくれた。ありがたい。。。
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水を汲んで帰って来て、そろそろ夕方になるという頃
もしかしたら?と思ってブレーカーを上げてみた。

ら!!

つつつつ点いた!!!!!!

電気が点いたーーーーーーーーーーーー!
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明るいってすごい!
電気が点くってすごい!!!
見えるーーー!夜が来ても怖くない!!!!!

電気がこんなに嬉しいもんだって、知らなかった。。。。

人のあたたかさと、電気のぬくもりに包まれる、そんな一日だった。
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by tori78 | 2011-03-29 23:32 | 東日本大震災

地震/私の被災生活その3

なかなか進まない私の被災生活記録。
まぁ、ゆっくり思い出しながら書きます。
タイムラグありすぎだけど、、、(^_^;)

3日目。朝、蛇口をひねる。
しーーーーん。

出ない。水。。。。
ついに来たか、水なし生活。

洗顔、歯磨き、トイレ、お風呂、食器洗い、料理。
暮らしの中には水を使う場面がいーーーっぱい。
蛇口をひねるだけで水が出て来ていた時には無意識すぎて、
こんなに水に支えられて生きてたなんて、わからなかった。

かろうじて水が出ていたこの2日間、家中のペットボトルやバケツに
水を汲んでおいてはあったけど。不安。。。

お風呂も入れてないし、なんだかしょぼくれる。
だけどいい天気。太陽があたたかい。

ふとベランダから下を見たら。。。
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我が家の通い野良猫。「くつろぎさん」が寝てる!!!
あの地震で果たして無事だったのかと心配していたけど
相変わらずくつろいでいる様で安心した。
地震後も、地震前と変わらないものを見て、少し和む。

引き続き、家の掃除などをする。
まだ電気が来ないので、また、ほうきとちりとり。
白山陶器の鳥ちゃんも、割れちゃった。
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夕方は、近くに住むお茶の先生80才宅へ様子を見に行く。
地震後すぐ、気になって訪ねて行ったのだけれど
家の鍵は開いているのに人の気配がなく、しーんとしていたので
なんだか心配に思い。

入口で何度か叫ぶ(先生は耳が悪い)と、しばらくして出て来た!
良かった!!!お互い、手を握り合って無事を喜ぶ。

お茶の道具が壊れたと言っていたけれど、先生も旦那さまも無事だったとのこと。
ホッとした。本当に良かった。。。

先生宅は玄関に100体はあるだろうこけしコレクションが並べてあるのだが
それが雪崩をおこしていた。玄関に崩れ落ちるこけし達。。。
「まだ揺れが続くからこのままにしてるのよぉ」と先生。

先生の家は地震後もずっと水が出ている、というので
少し汲ませてもらって持ち帰った。重い。。。

そんなこんなしているうちに日が暮れてしまった。
太陽が沈むと、とにかく真っ暗なので、
いろいろなことを日が暮れる前に済ませないといけない。
夕飯も明るいうちに作ってしまいたかったのだけれど、仕方ないので
懐中電灯とろうそくの光の中で調理する。
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地震前に買ってあった食材を使って肉じゃがを作る。
(ちなみに停電後からは食材をクーラーボックスに入れて保存していた。)

肉じゃが、作っていて思ったけど
鍋ひとつで事足りるから、こういう時作るメニューにもってこいかも。
「鍋ひとつで作れる」っていうのが、被災時は重要ポイント。

外を出歩いて、働くのは太陽が昇っている間。
暗くなって来たら急いで家に帰って、一部屋に家族で寄り集まって暖を取る。
必要最小限の水で顔を洗い、歯を磨き
長い夜はすることがないから、寝る。

なんだか、すごくシンプルな暮らし。
とりあえず、その日を「生きる」っていう事に一生懸命な一日。

この日の朝、父は電気が通っている友人宅へテレビを見に行っていた。
そこで、父は実家がある石巻の惨状を見てショックを受けて帰って来た。

この時まだ、実家にひとりで暮らしている弟(私の叔父)と連絡が取れないでいた。

津波の被害は想像をはるかに越えていて
映像で見る石巻の町は、もう本当に、何も無く
叔父も親戚も、誰の行方もわからないので
嫌な想像も時々頭をよぎるようになってきた。

信じているけど。信じたいけど。
どうしているんだろう。どうしたらいいんだろう。

とにかく、安否を確認する手段がないので
私はTwitterで呼びかけをしてみたり。ただ、手がかりはなし。

どうか、無事でいてくれますように、
と祈りながら眠る。3日目の夜。
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充電式のろうそくランプ。
昼間、電気が復旧した友人宅で充電してもらっておく。これがとても便利。
真っ暗だと気持ちも不安になるけれど
これを付けて寝るとろうそくのように揺らぐ光で
なんとなくホッとするし、余震で目が覚めても足下が見えるので安心。
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by tori78 | 2011-03-26 16:41 | 東日本大震災

地震/私の被災生活その2

(長いです。記録なので。あしからず。)

余震に怯えながら、なんとかかんとか一夜明けた、地震から2日目。

なぜか、この時点では我が家の水道はまだ水が出ていた。
水圧はものすごーく弱いものの、トイレも流せていた。

暖房がなくて芯から冷えた夜。
我が家には薪ストーブがあったので、
余震に怯えながらも寒さに耐えきれず、真夜中に父が点火。
大きく揺れたらすぐ水をかけて消せるように、と水も用意。
父は火の番をする、と結局椅子に座ったまま朝まで眠ったらしい。
ありがとう、父よ。

足の踏み場もなくなっている家の中。
とりあえず、逃げ道だけでも確保しておかなくちゃと片付けを始める。

私の時計。地震の衝撃で落ちて時間も止まってた。
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片付けの間も結構大きめの余震が襲ってくる。
その度に家族3人ともビクッッ!!となる。。。
遠くから、ゴオォォォォォォ、と不気味な地鳴りがした後
家がミシッッ!と言って揺れる。。。怖い。。。

とにかく台所にはガラスの破片がいっぱい。
タオちゃんの肉球にガラスが刺さったら心配だし
掃除機で吸い込みたいけど電気も止まっているので
ほうきとちりとりで地道に掃き掃除。
大事にしてたお皿もみんな割れてしまった。。。むなしい。
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自分で焼いた茶碗も、割れちゃった。
「物」のはかなさを思う。。。
命があればまた手に入れられるんだからそんな事言ってる場合じゃないけど。

家の中は色々散乱してて危ないので、地震後からずっと土足。
iPhoneの充電が切れそうだったので、車の充電器で補充。。。
でもガソリンもメーター半分だったし、バッテリーがあがるんじゃないか?と
恐る恐るの充電。なかなかフル充電にはならず。

我が家に備えてあった防災リュックの中に、
懐中電灯+ラジオ+手動充電器がひとつになった優れもの的なものがあったのだが、
もちろんiPhoneなんて充電できるわけもなく
母のauの携帯も、かすかに充電できたのか?!と思っていたら
完全に電源がOFFになってしまった後は、全力で手動充電器を動かしてもピクリともせず。
携帯の充電については、もうちょっと性能のいいやつを用意しておかないと
まるでだめだな、ということが分かった。
ソーラー発電とかさ、なんか、いいやつがあるといいよね。。。

朝から家の周囲を偵察に出かけた父が、
小学校で炊き出しをしてた、といってわかめご飯をもらって帰って来た。
おいしい、、、わかめご飯。

その後、私も町を偵察に。
コンビニ、薬局、スーパーの前には長蛇の列。。。
この状態がいつまで続くのか不安だったので私も食料調達に並んでみる。
スーパーの中は物が散乱している状態なので中へは入れず、
入口で「○○と○○が欲しい」と告げると
店員さんが袋に必要な物を入れてくれて、一袋千円で売る、という形を取っていた。

10時に並び始めてやっと買えたのが13時。3時間待ち。
並んでいる間、前後の人と話す。
私の前は2才くらい?の男の子を連れた小柄な若いお母さんだった。
小さい子を連れての3時間待ち。本当に大変そうだった。
スーパーの前の公衆電話には、ちょこちょこ人が来て受話器をあげていたけれど
誰も繋がっている様子の人はいなかった。

3時間待ちで買えたもの。
インスタントラーメン(カップじゃないやつ)5袋セット。オレンジ1袋。
黒胡椒せんべい。「雪の宿」的せんべい。いちご1パック。マドレーヌ1袋。
締めて2千円。

道路。ひび割れていた。
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母と避難所へも行ってみた。何人か避難している人はいたけれど、閑散としていた。
だだっ広い体育館、寒そうだった。
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それに、避難所なんて言っても毛布や暖房や食料が備蓄してあるわけじゃないみたいだった。

夕方、我が家より北のブロックに住む友人が、電気が復旧したと知らせに来た!
え!こんなに早く!と思ってうちのブレーカーを上げたが、、、無点灯。。
こちらはまだ復旧していないようす。。。
電気が来たからご飯が炊けるよ!というので、家族3人で押しかけて行った。

「あぁぁ、明るいいいいいい!あったかいいい!!!うれしいいぃぃぃ!」

電気って素晴らしい。。。電気のありがたみを噛み締める。
6畳のお部屋にこたつと石油ストーブがついていてポカポカの友人宅。
そしてテレビ。

震災後はじめて、まともにテレビを見た。
友人宅の大きなテレビに映し出されるのは、海辺の町を次々飲み込む津波の様子。
昨日の晩、小さな携帯の画面で見た時にはよくわからなかったけれど。。。

頭を駆け巡るのは「あの地域に誰か住んでだっけ?!?!」
あの人もだ、、、あの人もかもしれない、、、あの人も大丈夫かな。。。

返事が返せる状態なのかわからないけれど思いつく人に
電話はつながらないので、とにかくメールを打ってみた。

友人2人と我が家3人、そして一緒に避難してきた友人の猫。
5人と1匹でこたつに入って食卓を囲む。安堵。。。

冷蔵庫に残っていた!というさんまのみりん干し。
水がないから、昨日たくさん買って来た爽健美茶でご飯を炊いてみることに。
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この爽建美茶ごはん、すごく美味しい。びっくり。

こんな時にご飯らしいご飯が食べれるなんて思ってなかったから
ほんっとうに嬉しかった。
一緒に食卓を囲める仲間が無事でいてくれたことにも感謝。

自宅は相変わらず停電で、真っ暗だし寒いので
9時前には就寝。
夜が長い。そして暗くて怖い。

ただ、星だけは2日目も、きれい。
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by tori78 | 2011-03-24 15:11 | 東日本大震災

地震/私の被災生活その1

3月11日。東日本を襲った大地震。
あの日からもう10日が経とうとしているんですね。

少し落ち着いて来たので、記録のためにも書いておこうと思います。

我が家がある地域は山の方だったので
ニュース映像で見るような状況とは違います。
地震の揺れによる被害だけなので
瓦が落ちたり、道路が地割れしていたり、
家の壁が崩れたり、、、そのぐらいで済んでいます。

被災生活、といっても多少の不便があるだけで、いたって平和なものです。
甚大な被害を受けた地域の被災状況をニュースで見る度に
自分だけこんなんでいいのか?普通にご飯食べれてるけど、いいの??と思ってしまう。。。

今日、ひどい被害を受けた志津川が実家の友人と話す機会がありました。

彼女の家族・親戚は幸い無事だったとのこと。
でも思い出が詰まっている家は流されてしまった。もう帰る家がない。
写真1枚すら、見つけられなかった、とそう言っていました。

彼女が、
「自分が見た事、体験した事を自分のレベルで伝えることも「できること」のひとつだよ」
と言っていました。

だから、何になるかはわからないけど、私の目線で見えた事、とりあえず書いてみます。

あの日は東北大学病院へ通院中している母の定期検査の日でした。
朝早くから出かけ、検査結果も良好。一安心して、
前回の検査日の帰り際に予約して帰った「餡子屋」さんのどら焼きを受け取りに。
予約ですぐ売り切れてしまうというそのどら焼きを
おやつの時間に食べるのが、その日のお楽しみでした。
「じゃあ、おやつは4時ね!今日はどら焼きだよ〜!!」
なんて言ってたのに。。。。
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(ちなみにこのどら焼き、この後非常食になりました。。。)

地震直後の家の中はこんな。
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長くて大きな揺れの中、私は台所に居ました。
地震が来たら窓を開けて逃げられるようにする!という頭があったので
大きな揺れを感じた私は台所から外へ出る窓を開けに行ったのです。

食器棚の中のお皿やグラスが次々に落ちて来る。
冷蔵庫の扉も開いて中身が次々飛び出してくる。
パリン!パリン!ガチャン!ガチャン!!
どんどん落ちて割れるガラス。恐ろしかったーーー
移動したくてもそこに立ってるのがやっと。
怖くて足もガクガク。動けませんでした。

あとで知ったことだけれど5〜6分揺れ続けていたとか。。。
やっと揺れが治まったので家の中にいた家族の安否を確認。
「おとうさーーーーん?!?おかあさーーーーん!??大丈夫?!?!?」
母の声が聞こえなくて一瞬ヒヤッとする。。。
遅れて「大丈夫!」との声。
二階で逃げ回る猫を捕まえて抱きかかえ布団にくるまっていたらしい。

地震の直後から、停電、そして断水、もちろんガスもダメ。。。
おまけに急に雪が降って来る。大粒の牡丹雪。。。
こんな時に雪なんて、どうなっちゃうの??と不安になる。
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iPhoneでTwitterをチェックするとみんな地震の事をつぶやいている。
「まだ水が出る人はすぐに浴槽へ水を貯めろ」とか
「漏電の危険があるからブレーカーは落とせ」とかつぶやかれている。
とりあえずその通りにする。
お風呂の蛇口をひねったら泥水が出て来てビビる。
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お向かいさんが速攻で買い出しへ出かけたのを見て私もスーパーへ走る。

一番近くのスーパーは既に長蛇の列。コンビニも。
少し離れているけど大型スーパーがあったのでそちらまで車で行ってみる。
店内はぐちゃぐちゃだしまだ余震が続いていたため、中へは入れず
レジの近くでカップ麺、お茶やポカリ、乾電池などを並べて売っている状態だった。

それでも、地震の直後で、店員さんだって家や家族が心配だろうに
販売を続けてくれていたことに感謝。
カップラーメンを10個、乾電池と爽健美茶を1ケース購入。
レジも使えないので店員さんが電卓で計算。

この時はまだ被害の規模や全体像を把握出来ていなかったので
事態はすぐ復旧すると思っていた。。。
今思うとこの時もっといっぱい買い物しておけば良かった。。。


爽健美茶を1ケースを、わざわざ店員さんが車まで運ぶのを手伝ってくれた。
こんな時にそんなことまで!!と日本人のサービス精神に驚く。

暖房が消えてしまったので、靴下は二重履き、タイツを履いて
ジャージを着て、さらにボードのウエアを履いてダウンコートも着て防寒。
夜はその上からさらに毛布をかぶる。
夕飯はカセットコンロでお湯を沸かしてカップラーメン。

この日はとにかく余震に怯えながら夜を過ごす。
玄関近くの部屋で余震がくる度に玄関のドアを開けて出たり入ったりを繰り返す。
病気の母はそうもしていられないので、早々に観念していつも通りベッドで眠った。

おさまらない余震。。。
ラジオからは荒浜で遺体が200〜300とのニュース。。。
意味がわからない私達。。。
そう、この時はあの地震の後に津波が襲ってきた、ということを知らなかった。

どいうことになっているんだろう。
ラジオだとよくわからない。
携帯も充電が切れそうだったけれど
ワンセグをつけてニュースを見てみる。。。

愕然。

名取を、仙台港を、津波が。
見た事の無い映像。。。。。。。

まだ何が起きているのかよくわからなかった。

部屋は真っ暗。とにかく寒いし、揺れも止まらない。

懐中電灯の灯りを電気の傘へ当てるとまるで点いているみたいに見えた。
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余震の度外へ出ると、こんな時なのに星がきれいだった。
電気がない夜の暗さを実感した。

猫はいつでも一緒に逃げられるようにキャリーへ入れたまま一晩過ごした。
猫も怖かったのか、おとなしくしていた。
トイレとご飯のために一度だけ、お風呂場を閉め切ってキャリーから出してあげた。
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特に怯える風でもなく、なんだかノンキな猫。ドキドキしつつも少し癒される。

深夜3時頃、私も限界が来たので観念し、
スニーカーを枕元に用意して2階の自分の部屋で服を着たまま布団にくるまって寝た。


このペースだとこの10日間を書き出すのにどんだけかかるのか分からないけど。。。
(書き出すのか?10日分も?書き方は検討しよう。。。)

とりあえず初日はこんなだった!!
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by tori78 | 2011-03-18 00:45 | 東日本大震災