地震/私の被災生活その1

3月11日。東日本を襲った大地震。
あの日からもう10日が経とうとしているんですね。

少し落ち着いて来たので、記録のためにも書いておこうと思います。

我が家がある地域は山の方だったので
ニュース映像で見るような状況とは違います。
地震の揺れによる被害だけなので
瓦が落ちたり、道路が地割れしていたり、
家の壁が崩れたり、、、そのぐらいで済んでいます。

被災生活、といっても多少の不便があるだけで、いたって平和なものです。
甚大な被害を受けた地域の被災状況をニュースで見る度に
自分だけこんなんでいいのか?普通にご飯食べれてるけど、いいの??と思ってしまう。。。

今日、ひどい被害を受けた志津川が実家の友人と話す機会がありました。

彼女の家族・親戚は幸い無事だったとのこと。
でも思い出が詰まっている家は流されてしまった。もう帰る家がない。
写真1枚すら、見つけられなかった、とそう言っていました。

彼女が、
「自分が見た事、体験した事を自分のレベルで伝えることも「できること」のひとつだよ」
と言っていました。

だから、何になるかはわからないけど、私の目線で見えた事、とりあえず書いてみます。

あの日は東北大学病院へ通院中している母の定期検査の日でした。
朝早くから出かけ、検査結果も良好。一安心して、
前回の検査日の帰り際に予約して帰った「餡子屋」さんのどら焼きを受け取りに。
予約ですぐ売り切れてしまうというそのどら焼きを
おやつの時間に食べるのが、その日のお楽しみでした。
「じゃあ、おやつは4時ね!今日はどら焼きだよ〜!!」
なんて言ってたのに。。。。
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(ちなみにこのどら焼き、この後非常食になりました。。。)

地震直後の家の中はこんな。
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長くて大きな揺れの中、私は台所に居ました。
地震が来たら窓を開けて逃げられるようにする!という頭があったので
大きな揺れを感じた私は台所から外へ出る窓を開けに行ったのです。

食器棚の中のお皿やグラスが次々に落ちて来る。
冷蔵庫の扉も開いて中身が次々飛び出してくる。
パリン!パリン!ガチャン!ガチャン!!
どんどん落ちて割れるガラス。恐ろしかったーーー
移動したくてもそこに立ってるのがやっと。
怖くて足もガクガク。動けませんでした。

あとで知ったことだけれど5〜6分揺れ続けていたとか。。。
やっと揺れが治まったので家の中にいた家族の安否を確認。
「おとうさーーーーん?!?おかあさーーーーん!??大丈夫?!?!?」
母の声が聞こえなくて一瞬ヒヤッとする。。。
遅れて「大丈夫!」との声。
二階で逃げ回る猫を捕まえて抱きかかえ布団にくるまっていたらしい。

地震の直後から、停電、そして断水、もちろんガスもダメ。。。
おまけに急に雪が降って来る。大粒の牡丹雪。。。
こんな時に雪なんて、どうなっちゃうの??と不安になる。
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iPhoneでTwitterをチェックするとみんな地震の事をつぶやいている。
「まだ水が出る人はすぐに浴槽へ水を貯めろ」とか
「漏電の危険があるからブレーカーは落とせ」とかつぶやかれている。
とりあえずその通りにする。
お風呂の蛇口をひねったら泥水が出て来てビビる。
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お向かいさんが速攻で買い出しへ出かけたのを見て私もスーパーへ走る。

一番近くのスーパーは既に長蛇の列。コンビニも。
少し離れているけど大型スーパーがあったのでそちらまで車で行ってみる。
店内はぐちゃぐちゃだしまだ余震が続いていたため、中へは入れず
レジの近くでカップ麺、お茶やポカリ、乾電池などを並べて売っている状態だった。

それでも、地震の直後で、店員さんだって家や家族が心配だろうに
販売を続けてくれていたことに感謝。
カップラーメンを10個、乾電池と爽健美茶を1ケース購入。
レジも使えないので店員さんが電卓で計算。

この時はまだ被害の規模や全体像を把握出来ていなかったので
事態はすぐ復旧すると思っていた。。。
今思うとこの時もっといっぱい買い物しておけば良かった。。。


爽健美茶を1ケースを、わざわざ店員さんが車まで運ぶのを手伝ってくれた。
こんな時にそんなことまで!!と日本人のサービス精神に驚く。

暖房が消えてしまったので、靴下は二重履き、タイツを履いて
ジャージを着て、さらにボードのウエアを履いてダウンコートも着て防寒。
夜はその上からさらに毛布をかぶる。
夕飯はカセットコンロでお湯を沸かしてカップラーメン。

この日はとにかく余震に怯えながら夜を過ごす。
玄関近くの部屋で余震がくる度に玄関のドアを開けて出たり入ったりを繰り返す。
病気の母はそうもしていられないので、早々に観念していつも通りベッドで眠った。

おさまらない余震。。。
ラジオからは荒浜で遺体が200〜300とのニュース。。。
意味がわからない私達。。。
そう、この時はあの地震の後に津波が襲ってきた、ということを知らなかった。

どいうことになっているんだろう。
ラジオだとよくわからない。
携帯も充電が切れそうだったけれど
ワンセグをつけてニュースを見てみる。。。

愕然。

名取を、仙台港を、津波が。
見た事の無い映像。。。。。。。

まだ何が起きているのかよくわからなかった。

部屋は真っ暗。とにかく寒いし、揺れも止まらない。

懐中電灯の灯りを電気の傘へ当てるとまるで点いているみたいに見えた。
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余震の度外へ出ると、こんな時なのに星がきれいだった。
電気がない夜の暗さを実感した。

猫はいつでも一緒に逃げられるようにキャリーへ入れたまま一晩過ごした。
猫も怖かったのか、おとなしくしていた。
トイレとご飯のために一度だけ、お風呂場を閉め切ってキャリーから出してあげた。
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特に怯える風でもなく、なんだかノンキな猫。ドキドキしつつも少し癒される。

深夜3時頃、私も限界が来たので観念し、
スニーカーを枕元に用意して2階の自分の部屋で服を着たまま布団にくるまって寝た。


このペースだとこの10日間を書き出すのにどんだけかかるのか分からないけど。。。
(書き出すのか?10日分も?書き方は検討しよう。。。)

とりあえず初日はこんなだった!!
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by tori78 | 2011-03-18 00:45 | 東日本大震災


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