なかなか進まない私の被災生活記録。
まぁ、ゆっくり思い出しながら書きます。 タイムラグありすぎだけど、、、(^_^;) 3日目。朝、蛇口をひねる。 しーーーーん。 出ない。水。。。。 ついに来たか、水なし生活。 洗顔、歯磨き、トイレ、お風呂、食器洗い、料理。 暮らしの中には水を使う場面がいーーーっぱい。 蛇口をひねるだけで水が出て来ていた時には無意識すぎて、 こんなに水に支えられて生きてたなんて、わからなかった。 かろうじて水が出ていたこの2日間、家中のペットボトルやバケツに 水を汲んでおいてはあったけど。不安。。。 お風呂も入れてないし、なんだかしょぼくれる。 だけどいい天気。太陽があたたかい。 ふとベランダから下を見たら。。。 我が家の通い野良猫。「くつろぎさん」が寝てる!!! あの地震で果たして無事だったのかと心配していたけど 相変わらずくつろいでいる様で安心した。 地震後も、地震前と変わらないものを見て、少し和む。 引き続き、家の掃除などをする。 まだ電気が来ないので、また、ほうきとちりとり。 白山陶器の鳥ちゃんも、割れちゃった。 夕方は、近くに住むお茶の先生80才宅へ様子を見に行く。 地震後すぐ、気になって訪ねて行ったのだけれど 家の鍵は開いているのに人の気配がなく、しーんとしていたので なんだか心配に思い。 入口で何度か叫ぶ(先生は耳が悪い)と、しばらくして出て来た! 良かった!!!お互い、手を握り合って無事を喜ぶ。 お茶の道具が壊れたと言っていたけれど、先生も旦那さまも無事だったとのこと。 ホッとした。本当に良かった。。。 先生宅は玄関に100体はあるだろうこけしコレクションが並べてあるのだが それが雪崩をおこしていた。玄関に崩れ落ちるこけし達。。。 「まだ揺れが続くからこのままにしてるのよぉ」と先生。 先生の家は地震後もずっと水が出ている、というので 少し汲ませてもらって持ち帰った。重い。。。 そんなこんなしているうちに日が暮れてしまった。 太陽が沈むと、とにかく真っ暗なので、 いろいろなことを日が暮れる前に済ませないといけない。 夕飯も明るいうちに作ってしまいたかったのだけれど、仕方ないので 懐中電灯とろうそくの光の中で調理する。 地震前に買ってあった食材を使って肉じゃがを作る。 (ちなみに停電後からは食材をクーラーボックスに入れて保存していた。) 肉じゃが、作っていて思ったけど 鍋ひとつで事足りるから、こういう時作るメニューにもってこいかも。 「鍋ひとつで作れる」っていうのが、被災時は重要ポイント。 外を出歩いて、働くのは太陽が昇っている間。 暗くなって来たら急いで家に帰って、一部屋に家族で寄り集まって暖を取る。 必要最小限の水で顔を洗い、歯を磨き 長い夜はすることがないから、寝る。 なんだか、すごくシンプルな暮らし。 とりあえず、その日を「生きる」っていう事に一生懸命な一日。 この日の朝、父は電気が通っている友人宅へテレビを見に行っていた。 そこで、父は実家がある石巻の惨状を見てショックを受けて帰って来た。 この時まだ、実家にひとりで暮らしている弟(私の叔父)と連絡が取れないでいた。 津波の被害は想像をはるかに越えていて 映像で見る石巻の町は、もう本当に、何も無く 叔父も親戚も、誰の行方もわからないので 嫌な想像も時々頭をよぎるようになってきた。 信じているけど。信じたいけど。 どうしているんだろう。どうしたらいいんだろう。 とにかく、安否を確認する手段がないので 私はTwitterで呼びかけをしてみたり。ただ、手がかりはなし。 どうか、無事でいてくれますように、 と祈りながら眠る。3日目の夜。 充電式のろうそくランプ。 昼間、電気が復旧した友人宅で充電してもらっておく。これがとても便利。 真っ暗だと気持ちも不安になるけれど これを付けて寝るとろうそくのように揺らぐ光で なんとなくホッとするし、余震で目が覚めても足下が見えるので安心。
by tori78
| 2011-03-26 16:41
| 東日本大震災
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