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地震/私の被災生活その5

被災生活5日目。

地震直後に浴槽に貯めていた水が底をつきてきたので
水を汲みに出かける。トイレを流す水がない。

ちなみにトイレだけれど、
タンクに水を貯めてから流そうとするとものすごく水を使う。

なので、バケツから直接、トイレに流し込む方が少ない水量で流せる。

という事を私はこの震災ではじめて知った。
なんて思ってたらちゃんとTOTOも説明してたんだね。。。知らなかった。
断水・給水制限・停電時のトイレ使用について

母と私で水を運んだ。
母はあまり重いものは持てないのでキャリーケースにペットボトルを詰めて運ぶ。
私は10リットルタンクを2つ、キャリーカートに積んで運んだ。

蛇口から普通に水が出ている道路一本向こう側の地区。。。
ものすごく先進的に感じる。。。。
地震/私の被災生活その5_d0159504_1481273.jpg

実際、水を汲ませてもらった友人宅のお母さんは
化粧もきちんとしてたし、髪もきれいにしてあった。
家もきれいに片付いていて、普段となんら変わりないように見えた。

重たい水をうーうー言いながら運んでいる途中でふとひらめいた。。。
我が家のお風呂って、、、灯油で沸かしてたんじゃなかったっけ。電気は来たし。
ん?ていうことは浴槽に水さえ入っていれば沸かして入れる?!?

お風呂に入れず4日が経って不快感でイライラしてた私は
何がなんでもお風呂に入りたい!というお風呂への執念で
4往復し、やっとお湯が沸かせるだけの水を貯めた。
地震/私の被災生活その5_d0159504_1483412.jpg


これでお風呂に入れるーーーーー!!!と思っていたら

「あれー水出てるよ!?」

と母の声。。。
蛇口をひねってみたら

なんとーーーー
水、出てるーーーーーーーーーーーーーー
なんだったのーーーこの努力ーーーーーーー!!!!!

。。。でもでも
水が出ることにただただ感動。。。
ありがたいよぉぉ。。。。。嬉しいよぉぉぉ。。。。

4日ぶり。
水圧が弱くてシャワーは使えなかったけれど
浴槽から汲んでお湯を浴びた。頭も洗った。
ものすごく気持ちが良かった。
すっっっっっっきりした。

4日ぶりのお風呂は
ハゲるんじゃないかと思うくらい髪の毛が抜けてびっくりした。

お風呂に入れるなんて当たり前だと思っていたけど、
本当に本当に幸せなことだったんだ。

女ふたり、水汲みをしている間
父は何をしていたかというと、、、、、、

石巻の叔父とはいまだ連絡が取れずにいた。
Twitterで呼びかけたり、東京の友達から石巻の各避難所の名簿の画像を
iPhoneに送ってもらったりして探したりもした。が、見つからず。
電話をかけてももちろんつながらず。。。
時間だけが過ぎて行くし、
数日前からテレビには遺体安置所の案内が出るようになって来ていた。。。

遺体安置所。。。
。。。これは、遺体安置所へも探しに行かなければいけないのでは。。。

嫌な不安が頭をよぎり始めた頃、
石巻まで車を出してくれる、という方から連絡をいただいて
この日の朝、父は叔父を探しに石巻へ向かっていた。

父は数カ所の避難所と、それから、遺体安置所へも確認に回ったそうだ。
遺体安置所では50体ほどの遺体を確認したと。
「怖い」という思いは不思議となかったと話していた。
津波の前までは同じように生きていた人たちなのだから、と。

避難所では、やれあそこにいるはずだ、だの、いやあっちにいたはずだ、だの
情報が交錯していたそう。あの状況で、確かな情報なんて無理なんだろうけど。

そうこうするうちに、実家からほど近い避難所へ。

そこの駐車場で車に寝泊まりして避難生活を送っていた叔父を見つけた。

夕方、無事帰って来た父の後ろに叔父の姿を見た時、本当に安堵した。
いつもと変わらないおどけた調子で、元気そうだった。
あぁ、、、本当に、良かった。。。。

電気が灯っている事。
水が出る事。
温かい食事が取れる事。
すべてに感動する叔父。

そして今日やっと沸かせたお風呂に入り
体をまっすぐにして眠れる!と感動しながら、叔父は就寝。

叔父はそれから我が家で避難生活を送っている。

あんなに再会を喜んだくせに
狭い我が家に60すぎの大人が3人になり
あーだ、こーだと口うるさく言われると
喜んだのもつかの間、煙たく思う瞬間があるのも正直なところだけれど
でも、煙たがったりできるのも、口喧嘩できるのも
生きていてくれたからだと、そう思う。
by tori78 | 2011-03-30 01:34 | 東日本大震災


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